トイレの個室

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デレステは総合芸術である

ガールフレンド(♪)、ラブライブ!バンドリ!ナナシス…とスマホのアイドル系リズムゲームを渡り歩いてきた私が行き着いたのがアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ、通称「デレステ」である。私は自慢できるほどリズムゲームを数多くはやっていないが、そんな中でも個人的に随一と目するこのデレステを今回は分析する。

デレステの魅力として挙げたいのはタイトルにもある通り「総合芸術」とも呼べる幾重に重なるメディアである。勿論、アニメ化や漫画化、実際のライブ公演等のメディアミックスも注目すべきでありそれにも触れたいが、それは冒頭で挙げた他の例にも当て嵌まるのでここでは割愛する。ゲームの外側では無く内側に目を向けた時、デレステが他の類似のゲームと一線を画す要因となるのはどこか。それは音楽と文脈と身体の密着性である、と私は言いたい。

そもそもデレステとは何かを説明しなければならない気がするが、あいにく私もニワカなのでここではアイドルマスターシリーズの一部であるとだけ言っておくので、ググってください。

ゲームの内容を簡潔に表すと、リズムゲームをプレイしてアイドルのストーリーを解放し進めていく。ゲームをプレイすることでストーリーを進める方式は今やソシャゲ界隈では至る所で目にするが、アイマスシリーズがユーザーとアイドルとの関係性に主眼を置く以上必然的にデレステでもこの方式を採用する。ただ、デレステはそれだけでは終わらなかった。この方式においてゲームはストーリーを進める為に存在するがそのゲーム中はストーリーは展開されないというジレンマを抱える。しかしデレステはそれを打破した(アクション映画においてアクションシーンはスペクタルとして必要だが、その間はストーリーが進まないという問題に対して『マッドマックス フューリーロード』が一つの解を提示したように)。

ここまで長々と前置きを書いたのでそろそろ具体例を見ていこう。

2019年5月現在のイベント曲『無重力シャトル』の難易度Master+においてアイドルが右腕を降ろす振り付けに合わせてノーツが降りてくるシーンがある。(手とノーツが重なっていたので私は初見でそれを見逃しミスした。)ここでは振り付けを踊るアイドルの身体(3Dモデルの仮想的なものだが)とゲームをプレイする私たちの身体がシンクロする。この一致は否応なくユーザーのアイドルに対する親密度を高める。

ユーザーの身体は一人のアイドルと重なるだけではない。『Fascinate』というデュエット曲の中でノーツが2つほぼ同時に降りてくる場面がある。それに対して私たちはまるでピアノで装飾音を演奏するように「ポロン」とタップしなければならない。ほんの僅かにズレて鳴る2つの音が限りなく近くに居ながら重なることはない2人の関係性を想像させる。ここでノーツをタップする2つの手(あるいは指)が2人のアイドルに見立てられている。私たちは手を動かしてゲームをプレイするだけなのにそこに2人の少女の関係性を読み解いてしまうのである。

次は歌詞に注目しよう。先程触れた『Fascinate』の歌詞について以下のブログを見つけた。

www.google.co.jp

「ちとせのヴァンパイア要素が強めに出てますかね、ただ千夜の要素が薄く感じます。」

 

ここでこの曲が装飾音のようにノーツを配置しているということを思い出してほしい。私は音楽に明るくないが、友人によると装飾音はアクセントを付けたいときや繋がりを自然にしたいときに用いるそうだ。つまりここでは千夜がちとせを強調する効果が得られる。または、この曲が新アイドルの新ユニットのものであることを踏まえると、この2人をユニットとして並べることでデレステという大きな流れにスムーズに入れるようにしているとも考えられる。(こうなると金髪と黒髪の両人があたかもピアノの白と黒の鍵盤のように対比されていることに気づく!)

 

ここまで見てきたように、デレステリズムゲームをプレイする私たちの身体にキャラクターの身体やストーリー、歌詞の意味を重ねている。他の類似のゲームのようにストーリーの展開を全てテキストに任せることはない。アイドルが踊るように、楽器を演奏するように、ストーリーをなぞるようにゲームをプレイする中で文脈を体感しつつそれを身体の内で膨らませる。そうして自分の身体を介して届けられる物語はより直接的な感動を引き起こす。私たちはユーザーあるいは「プロデューサー」としてゲームをプレイしつつも時にはアイドルとまさに一体化し、その瞬間デレステは端末の中だけでなく私たちの身体の中にも存在する。