トイレの個室

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「Gossip Club」と「Shots」に見る男女の性的優位性の違い

要望があったので、以前twitterで呟いたことをまとめてここに転記、追記する。

 

デレステの2019年のイベント曲「Gossip Club」とそのオマージュ元である「Shots」(LMFAO ft.Lil Jon)を比較する。

youtu.be

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まず、大槻唯らセクシーギャルズは、ギャルについては門外漢である私から見れば、「白ギャル」や「age嬢」に分類されるが、これらが活躍した2000年代(特に後半)はLMFAOの活動時期(06-12)と重なる。「Shots」がリリースされた2009年はまさにage嬢の全盛期だ。

「Gossip Club」は曲のサウンドだけでなく、歌詞の内容もShotsのそれを踏襲している。それは、「自身の魅力(性的なものも多分に含む)が異性を虜にする」というナルシシズムである。

2曲でそれぞれ繰り返し歌われる'shower'と'shots'は共に「浴びる」ものだが、流れる場所は身体の外/内と対照的だ。 この流れる液体を精液と見立てよう。男が女に中出しする、つまり生殖を許されることで、男の性的な優位性は示されるのに対して、女は男の生殖の誘いを断る、或いは中出しさせないことで、自身の優位性を示そうとする。 これらの性的優位性はそれぞれ、ヤリチンと処女という言葉で表しても良い。同じ内容を扱いながら、性における男女の違いが'shower'と'shots'に表現される。

 

しかし、両者のMVに対する態度は全く異なる。 「Shots」は、プールやクラブで酒と女に囲まれる、如何にもパリピらしく豪勢で猥雑な様子だが、「Gossip Club」はクラブで踊る3人のギャル以外は何も映らない。2つの映像を比すれば、後者にもの寂しさすら感じてしまう。

これは、「酒と女が無ければ己の男らしさも誇れないのか」という「Shots」への批判として受け取ることもできる。 ただ同時に、画面から男を排除することに、ミサンドリーを嗅ぎ取ってしまう。無論、その点においてこの曲が非難される謂れはないが、個人的に指摘せずにはいられない。

それはさておき、「Gossip Club」の方法がオタクを救うものであると私は言いたい。 「Shots」と同様なMVを作ろうとするならば、彼女らの周りにグッドルッキングガイを侍らせればよいが、そうすると彼女らの隣にいるべき男のタイプが決定してしまう。そのタイプに当て嵌まらない多くのオタクたちは画面の中から追放されるのだ。

画面に男を描かないことで、イケてないオタクも含めた全ての男がこの曲を楽しめる。更に言ってしまえば、男に限る必要はなく、女も合わせて「世界中」が対象になり、「You're on fleek!!!」となる。

 

ちなみに、曲最後の'shower'を繰り返すパートの振り付けも素晴らしい。 埃を払うような動きは、サッカーのゴールパフォーマンスでも見られ、ゴシップやジンクスを振り払う意味がある。これはシャワーで身を洗うということと親和性が高い。