『ジョゼと虎と魚たち』を見た
鑑賞後、時間が経つほどに良い映画だったなあと思う作品。
(ネタバレします)
世間知らずのジョゼの成長は作品の主題の一つであり、序盤の彼女は浮世離れした人物として描かれる。それを支えるのが、お伽話的要素である。
ディズニープリンセス
家に閉じ込められ(夜の散歩はあったが、作中で禁止される)老婆に育てられた少女が男に連れ出される、と物語のプロットは『ラプンツェル』のようだ。チヅが「外の世界は猛獣だらけ」と脅すところは正にゴーテル。猫のユキチもパスカル的位置付けだし、二人とも絵も描くし。
あるいは、動物と話ができる(ように見える)閉じ込められた娘としてシンデレラも想起するし、読書家であるところはベルっぽい。人魚になる空想シーンにアリエルの姿を見ても良い。
ディズニープリンセスといえば、積極的行動を取らない受け身の人間というステレオタイプがある。社会に溶け込めないジョゼはまさにそのイメージを体現する。
ラプンツェルはそのようなイメージを打ち破るプリンセスであるからこそ、『ジョゼ』も同じような構図を取る。
天照大神
山村宅には「天照皇大神宮」のお札が柱に貼られていた。
天照大神と言えば、天岩戸神話が有名だ。この神話と『ジョゼ』は細部に差異はあれど、共通して閉じこもった女性を外の世界へ連れ出す物語である。
黄泉比良坂
ジョゼと恒夫が出会い、また結ばれる場所である坂から黄泉比良坂を連想した。黄泉比良坂が現世と黄泉の境界であるように、作中の坂も隔たりのあるジョゼと恒夫の世界を繋ぐ場所として象徴的に機能している。
イザナギは坂でイザナミに姿を見るなと言われながら見たために二人は離別する。このような見てはいけないものを見ることで悲劇が生じる話は「見るなの禁」と呼ばれる。
見るなの禁
「鶴の恩返し」を筆頭に、日本の昔話において見るなの禁を犯された女性は去るか逆に襲いかかるか、いずれにせよ幸せな展開にはならない。
ジョゼもまた恒夫に彼女の部屋を見るなと言い付ける。しかし、恒夫はあっさりと部屋を覗き、それを知ったジョゼは恥ずかしがるものの二人の関係は悪化しない。むしろ秘密を共有することで親密になり、物語も進展する。
「見るなの禁」は他所から嫁いで来た嫁の心理の象徴であると私は考える。旧来の嫁は悩み事などを心に秘め、家にいながらどこか疎外感や孤独感があっただろう。それが現代においては「嫁と婿家族」という家庭内の構図が「嫁と婿」という形に変容した。現代の恋人の間では秘密は無い方が良いのである。
竜宮城
ジョゼと恒夫の出会いから恒夫がバイトを頼まれるまでの流れに昔話の突飛さを感じて私は好きだ。例えば、初期の浦島太郎物語は舟の上の浦島太郎のもとに海から乙姫がいきなり登場して求婚する。これが荒唐無稽で良い。
山村宅は光GENJIのポスターが飾られるなど、内装が古い。チヅの趣味がそのまま残されていて、時間の流れが止まっているように思わせる。恒夫にとっては高いバイト代が貰えることも含めて、あそこは竜宮城のような場所だ。
作品後半でジョゼが自立してくると、このようなお伽話の要素が消え現実と向き合わされるのが、脚本としては妥当だと思うが、個人的に少し残念だった。(本当に個人の感想です。)
その他雑感
・レイアウトも画面の仕上がりも良かった。何よりシネスコなのがたすかる。やりたいことが伝わる。
・舞、君は負けヒロインとしてやるべき事をやり、負けるべくして負けた。拍手喝采。あまりの負けっぷりに劇場で震えていた。
・ジョゼが人魚の夢を見るシーンは海の文字通り底知れない恐ろしさが描かれていない。しかし、海を知らないジョゼの空想なのでこれはこれで良いのだろう。
・あの坂を見ると国立駅北側を思い出すが大阪にもあの地形があるのか。あれだと台地の上に川が通っていることになるがそういう場所があるのか。それを確かめるために聖地巡礼してみたいと思った。
・チヅが突然死んだのが良かった。
・ジョゼの部屋の美術設計は足が動かない人の生活を感じる。
・海に行ってジョゼ担いではしゃぐシーンはアニメーションが良くて感情が乗った。
・ジョゼが恒夫との思い出をフラッシュバックするところ(どの場面か忘れた)でウッと来た。
孤独な者たちの恋愛というテーマが個人的な経験にちょっとぶっ刺さったので、この作品のことは何度も思い返すだろう。