『竜とそばかすの姫』についてのメモ
『バケモノの子』で細田守を信頼できなくなったのでどうしても身構えて鑑賞してしまって、まぁうーんという感じ。悪くはないけど良くもないみたいな。(追記:言い方が正確ではないので言い直す。悪い所もあり良い所もあり、総合すると心に残る映画ではないという評価。)
U、ネット世界の描き方が古いっていうかウォーゲームから変化してなくない?「ネットの声」は(実際のそれも非常に不愉快ではあるが)聞いていてむず痒くなる。
虐待の解決があっさり過ぎてリアリティがない。実際の地名を出しておいて現実世界での問題をそんなに簡単に扱われてしまうと、えぇ。それで鈴が成長したと言われてもねぇ。あれが作中で1番のファンタジーだよ。
美女と野獣オマージュが過ぎてパクリと言われても仕方ない。ベル、野獣、ガストンが出てくるし、ディズニー・アニメーションを語る上で外せない伝説のダンスシーンはまんまやったし。
たしかに、『美女と野獣』のルッキズムに囚われない真実の愛、市民のエゴイスティックで行き過ぎた正義感というテーマは現代のネットに応用できる。「野獣の変身解けた姿受け入れられない」問題は『竜そば』では美女もアバターを脱ぐことで良くまとまってると思う。
しかし、この「本当の自分」観についても古臭く感じる。
ベルが鈴になって「普通の女の子」じゃねーんだよ。結局そういう見方をしているし、そばかすの制服女子高生は「普通の女の子」の記号なんかってね。
井上俊之カリスマのパートは確信ないけどカミシンの河川敷と駅のシーンかな。ベルが鈴になってUの世界で歌うシーンこそカリスマが作画して欲しかった。何の為に手法を変えてると思ってんだよ、ってツッコんだ。
細田守がよくやる河川敷で横からロングで映すやつは今回も何度も出てきたが、それをカヌーで川を登るカミシンのカットは興奮した。あの構図に批判的な印象深いカットだ。
追記
アバターに人間のものと動物のものがあるのバランス感覚悪いよ。それもアバターは一人一つで決められたデザインを選択する仕様なら尚更。
長尺の日常芝居カット等では演出家細田守の良さが出ていた。
このレヴューは自分の思ったことをうまく言語化してくれている。
https://jp.ign.com/ryu-to-sobakasu-no-hime/53430/review/
細田作品に印象的な入道雲は『竜そば』にも出てくるが、その映し方は疑問に思うものだった。あのシーンは作品の座りの悪さを象徴している。
序盤の鈴の登校で階段を降りるカット、少しずつ鈴がカメラに近づくにつれて目が点だったのが情報量を増やしていくのに感心した。
インターネットにおける分断が強調された現代の視点で見ると、bellが同時接続1億人のライブを行うのには疑問がある。